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西陣紀行 -西陣の風情-「紋屋図子 三上家路地」に残る築130年の長屋の風景 vol.1

2022.11.02

 

 

みなさま、こんにちは。

本日はとっても良いお天気の西陣です。

 

西陣では、観光の方もチラホラ見られ、

半袖に短パン、サンダル姿の外国人の方々も。真夏!

 

寒くもなく、暑くもなく、

過ごしやすい気候って

最高に幸せですね☺️

 

さてさて、

ここ西陣は京都の中でも

有数の趣のある路地の多い土地です。

今回は、西陣でも圧倒的に風情のある「紋屋図子 三上家路地」をご紹介させて頂きます。

 

 

西陣の紋屋図子は五辻通と上立売通の間、

智恵光院通から大宮通へ東西に抜ける約150mほどの横路です。

 

京都では小さな生活道路を

「図子(ずし)」や「路地(ろーじ)」

と使い分けています。

 

もともとは正方形が基本であった

平安京の条坊制度は、

やがて商業の発達と共に形を変えていきます。

 

少しでも多くの店舗を表面に配するために、

コ型に区画されて路地が生まれていきました。

 

明確な基準はないものの、袋小路が路地、

通り抜けているのを図子と呼ぶらしいですが、

時代と共に町は姿を変えていきます。

 

この紋屋図子は当初「聖天の図子」とよばれ、

昔は大宮通に抜けない袋小路でした。

 

しかしそれを御寮織物司(紋屋)井関七右衛門が

私財を投げ打って、突き当たりの家々を買い取り、

路地を大宮通まで貫通させました。

 

その功をたたえて、

彼の称号から「紋屋図子」と改称したといいます。

 

 

江戸期の職人長屋を今に残す「三上家」の路地。

 

今は陶芸家や写真家らが住む人気物件で、

観光客も絶えません。

 

江戸中期の宝暦年間には

有職織物師の御寮織物司六家のうちの

五家までが紋屋町に棲んでいたそうです。

 

御寮織物司というのは室町後期より

宮中に収める有職織物を取り仕切った織元のこと。

 

御寮織物司は「紋屋」(もんや)と呼ばれました。

三上家は紋屋町に現存する

ただ1軒の紋屋だそうです✨✨✨

 

 

(model : Yumiko.H)

 

帯みのりでは、

モデル撮影などで

ロケ地として何度か使わせて頂きました🌟🌟🌟

 

江戸時代の機織り機や

子供たちの声が聞こえてきそうなほど、

当時の雰囲気がそのまま残った三上家路地、

必見です💫💫💫

 

私は時代劇の必殺仕事人が大好きなんで、
仕事人が中にいてるような気がするほど、、、

鳥肌ものでした^^

 

京マチ子さんがふらっと後ろから現れそうな

そんなリアル江戸時代の紋屋町。

 

ぜひ一度訪れてみて下さい🌈

 

 

vol.2へ続きます。

 

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